カイロプラクティックとは?

カイロプラクティック

ダニエル・デビッド・パーマー

カイロプラクティック療法は1895年にアメリカで Drダニエル・デビッド・パーマー(左写真)によって発見された施術方法です。カイロとはギリシャ語で『手』プラクティックは 『技術』を意味し投薬や手術などを行わずに骨の歪みにより流れが悪くなった神経系に対しカイロプラクティック独自の手技により神経の流れを正しくします。それにより神経系を通じ全身に流れている自然治癒力(しぜんちゆりょく)の働きを正常化させ、体の様々な問題に対し自らの力で軽減または改善させることを目的とした療法です。

バートレット・ジェスタ・パーマー

カイロプラクティックを発見したデビッド・パーマーの息子であるバートレット・ジェスタ・パーマー(左写真下)や多くの有能なカイロプラクター(カイロプラクティックの施術者)達によって カイロプラクティックはその施術効果が科学的に研究されていきました。

それらの長年の研究がついに実り1997年には世界保健機関(WHO)がカイロプラクティックを代替医療として認め、その有効性と安全性が世界で認められる療法になりました。現在では世界約80カ国以上で行なわれています。 また アメリカ イギリス フランス カナダ オーストラリア 香港など世界主要34ヶ国の国と地域では法制化され多くの人の健康維持に貢献している療法です。

カイロプラクティックの起源と歴史

ファーストアジャストメント

磁石治療を行っていたダニエル・デビッド・パーマー(D・D・パーマー)はとても研究熱心な治療家でした。彼は毎日 多くの施術を行っていくなかで人体に対して様々な疑問をもつようになっていました。

健康な人はなぜ健康なのか…?また、健康な人がなぜ病気になってしまうのか…?そしてあるときD・D・パーマーの中で1つの考えが生まれます。

『脳から出て神経経を通り各器官(内蔵 筋肉など)に休むことなく伝達されている力(自然治癒力)…この自然治癒力が骨格がズレることによりその伝達が妨げられてしまい 身体は弱っていき病気になるのではないのか…。』

それから しばらくしてその仮説を試す絶好の機会がおとずれます。 D・D・パーマーのオフィスのあるビルに ハービー・リラードという雑役夫がいました。彼は17年前 荷物を持とうとした際に首の辺りに痛みを感じ…それ以来 徐々に彼の耳が聞こえなくなってしまったのです。

1895年9月18日、D・D・パーマーは自分の考えをハービーに話し彼の同意を得た後、彼の背骨を検査しました。すると首の骨の上から2番目である第2頸椎に問題があることがわかりました。そこでD・D・パーマーは第2頸椎をトン・トン・トンという軽い圧力で3回調整を行いました。すると…なんと17年間ほとんど聞こえなかった耳が少しずつ聞こえるようになっていました。…そうです実はカイロプラクティック大発見の真相は上部頚椎を調整したことが始まりだったのです。その後、数回のアジャストメント(調整)を行ったところハービーの聴力は完全に回復していきました。

余談ですがこのD・D・パーマーが行ったファーストアジャストメントについて様々な話があります。当初はD・D・パーマーは第4胸椎(背中の骨)を調整した…と言っていたそうなのですが、その理由としては真面目なD・D・パーマーが嘘をつかなくてはいけない時代背景がありました。

当時、治療で首を触る行為は禁忌とされており第2頸椎を調整した…などと言ったらこれから発展するであろうその療法が、世間のバッシングを浴び消えてしまう恐れがあったからだそうです。(ちなみに息子のB・J・パーマーはこの時のファーストアジャストメントを間近で見ていたので後に第2頸椎とはっきり断言しています。)

D・D・パーマーは自分の仮説が正しかったことを証明したのです。この療法で多くの困っている人々のために D・D・パーマーと息子のバートレット・ジェスタ・パーマーはこの療法を世の中に広める決意をします。

1897年にはアメリカアイオワ州ダベンポートでパーマー・カレッジ・オブ・カイロプラクティックというカイロプラクティック大学を設立し徐々にですがカイロプラクティックは広がりをみせます。

しかし1920年代には米国医師会がカイロプラクティックへの弾圧を強めカイロプラクターが無資格医療行為として次々と投獄される事件などもあり、それから長きにわたりカイロプラクティックが世の中で認められるための戦いが始まりました。

長い戦いの末ついに1974年に全米50州でカイロプラクティックが医療として認められることとなります。残念ながら未だ日本は法制化されていませんが アメリカのようにいつの日か法制化され皆様にとってもっと身近な療法になる日を心待ちにしています。